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玉兎の由来

2022.01.22 note

弥彦名産「玉兎」の由来 


 大昔、霊峰弥彦山に沢山の兎が棲んでいたが、毎日、里へ下りては神領農民達の大切な田畑を荒らす為に、ほとほと困り果ててしまった。
 農民達の苦しみをお聞きになった彌彦大神様は、早速弥彦山にいる兎達を全部集められて、大切な田畑を荒らすことのないようにとお諭しになったので、すっかり恐れ入った兎達は、以後絶対に里へ下りていたずらをしませんと固く誓い、それから後はぷっつりと被害が無くなったと云う。
 神領の農民達は彌彦大神様の御神徳を大変感謝し、大神様のお諭しを聞いて畏まっている兎達の丸くなった姿を米の粉で形作って献上した所、大神様はこの菓子を喜んでお召し上がりになられ、「良幸餅(うさちもち)」と名付けられたと云う。
 良幸餅・・・ウサギ餅は、彌彦大神様の宏大無辺の御神徳を今の世まで語り伝える弥彦の名産品であります。


弥彦名産玉兎組合

 



 

兎は、お土産品としてだけではなく弥彦の象徴としても弥彦駅の鬼瓦をはじめ其処此処にその姿を見ることができます。


JR弥彦駅舎の鬼瓦

神社建築のJR弥彦駅

(↑昭和25年6月20日に使用開始された弥彦郵便局の風景印)


 【玉兎菓子・土産品としての起源】

記録に残っているところでは、文政4年(1821)に石瀬村(現新潟市西蒲区)出身の本間貞作が考案したものといわれています。本間貞作は石瀬村本間兵左衛門の次男に生れ、畳職人として修業を積みながら、若い時に五泉町(現五泉市)に遊んで剪り花(生花)の技術を習得、後に弥彦に移り住み、畳職を家業とする傍ら、兎の形を模した饅頭を売り出したのが「玉兎饅頭」で、店頭に釜を据えてセイロを積み重ね、蒸したての熱い麦饅頭であったと推測されています。幕末に刊行された『越後土産』に「弥彦兎まんちう」の名が見られます。明治初年、製菓業者がアン入りの米粉菓を考案。その後、地元の製菓業者はこれを粉菓子(米の粉を使った打ち物)に改め、小粒の小南京菓子(小さく愛らしい菓子)が売出されました。
現在では、大形の耳だけ赤く色取ったものや、アン入りのもの、香せん兎、和三盆(上質の砂糖を使った菓子の材料)の玉兎など、様々な兎菓子が販売されています。

また、平成22年秋には、玉兎の型を用いて「ちょこっ兎」と命名されたチョコレートが発売され、新しい弥彦温泉の人気商品となっております。

弥彦温泉観光旅館組合旅館各店等で発売中♪

 

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