(桔梗城平面図・伊藤正一1976・補加小林孝1994.3)
 

史 跡(昭和50年11月7日指定)

 ききょうじょうあと
桔梗城跡  大字弥彦字荒城

 弥彦村大字弥彦の東方の丘陵群の一端、俗に城山(標高86.2m)と呼ばれている峰は、昔、桔梗が咲き乱れ、一名桔梗ケ岳ともよばれていたという。城跡にはかつては樹齢数百年を数える巨松8本が立ち並んでいたが、現在ではわずかに数本残すのみである。
 付近には空堀、館跡や曲輪跡なども残っており往時をしのばせる。
 平安時代天喜年間(1050年代)源頼光の一族であった弥彦庄司吉川宗方がこの城を築き、康平6年(1063)黒鳥兵衛の乱を防いだと伝えられているが、弥彦神社自衛のために早くからここに簡単な塁を築いたのが始まりであろう。
 戦国期に至り、城主黒田秀忠は長尾景虎に抗して自殺し、その後は黒滝城主山岸秀能の支配となった。
 慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封により廃城となった。
 現在は城山森林公園として保存されている。

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