建 造 物(平成13年11月30日指定)

ほうえんじ   しょうろう   さんもん
法圓寺 鐘楼・山門 二棟 大字矢作  法圓寺

 山門は四脚門(よつあしもん)の形式であり屋根は桟(さん)瓦葺。中央の円柱径は1尺3寸、控の方柱は1尺角の太い骨格で構成されている。斗組(ますぐみ)は出組形式の詰組を基本にしているが、その中間に、みの束を用いた間斗束(けんどづか)を置いている。妻飾(つまかざり)は二重紅梁(こうりょう)、太瓶束(たいへいづか)方式で千鳥破風(ちどりはふう)を構える軒は二軒平行繁垂木(にけんへいこうしげたるき)である。
 各所に渦巻型彫刻や獅子頭(ししがわら)、木鼻(きばな)を用いてあたかも彫刻が多用されているように見受けられるが、四脚門には不似合いな程の太い骨格の構造材及び軒を支える斗組や両端の妻飾の、豪快で複雑な構成にある。材質も桁より下は全てケヤキ材を用い、当時の寺格や大工技術の高さを伺わせる建物である。
 鐘楼は、四脚型、入母屋造(いりもやづくり)桟瓦葺(さんかわらぶき)。1辺が1尺2寸5分の四方転びの柱を二段の貫と頭貫(かしらぬき)で固めている。頭貫下端には、龍と雲の彫刻欄間(らんま)がはめ込まれている。斗組は山門と同じ手法を用い、軒は二軒扇垂木(にけんおうぎたるき)形式である。
 内部にも外部と同じ形式の斗組を出し、近世によく見られる差肘木(さしひじき)形式を取ってはいない。天井はなく、小屋組表しである。妻飾は紅梁、太瓶束方式を採る。この建物も山門と同じく桁より下に全てケヤキ材を用い、その意匠は山門と同じく豪快である。
 昭和4年(1929)に記された寺の記録によると、山門改築は安政元年(1854)、鐘楼改築は安政3年(1856)とされている。
 また、旧間瀬村西蓮寺住職の記録(明治三十五年「間瀬村史」初稿)には、間瀬大工篠原嘉左衛門が同寺の普請を行ったと記されている。


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