古い民家という言葉を聞いたとき、太い柱と梁が組み合わされ、黒光りする立派な建物を思い浮かべますが、多くの農民がそのような家に住んでいたわけではありません。当時の農村社会にはお互いに労力を提供しあう結(ゆい)という社会習慣がありました。ここには高度な技術はあまり見られません。少し大工の心得がある人の指図により、屋根の茅葺きや土壁塗り、土間のたたきなどは農民の共同作業で作られたと思います。
武石家の先祖は、天正年間に廣福寺開祖延定房祐善に供奉して、能登より移住した信徒です。村指定文化財の主屋は18世紀初頭今から300年ほど前の建築と考えられており、柱にはチョウナがけの跡が残り、ザシキは板の間、チャノマが土間であることが、その古さを物語っています。主屋は県内でも最も古い民家に属し、江戸時代の中層階級の生活を伺い知ることのできる貴重な遺構であると評価されております。(平成5年2月5日指定)
味噌蔵は、和釘が使われていることから幕末から明治初期頃の建築と考えられ、薪小屋は昭和4年(1929年)の建築の墨書が発見されました。この2棟は国の有形登録文化財として登録されています。
以上3棟と納屋を含めた4棟は、平成6年から解体復元工事を実施し、平成9年、建築当初の姿によみがえりました。 |
 |
 |
| 納屋(受付) |
 |
 |
| 主屋・チャノマ(土間) |
 |
 |
| 主屋・ザシキ |
 |
|